寝不足だとお腹壊すのって私だけですか

最近、まさに秋晴れといった感じの天気が続いていて過ごしやすい。紅葉でも見に行きたいところだが、一緒に行けるような人がいない。金もない。悲しい。

 

 

 

というわけで (?)、前回の記事に書いたとおりゼミの先生と話してきた。結論から言うと、退学自体には反対されなかったし協力もしてくれそうだった。やはり良い人だ。ちなみに先生は、50代後半の温厚なおじさんである。この日の詳細は、以下に記す。

 

11時頃に研究室に来てください と先生から言われていたので、11時3分くらいに研究室のあるフロアに到着した。遅刻魔の私にしては上出来だ。

少し早足で廊下を歩いていくと、目的地である部屋のドアが開いていた。今までも先生には他の件で相談をしたことがあるので、ここに来るのは4度目である。この先生は学生がアポを取ってから訪れる場合、入室しやすいようにドアを開けておいてくれる。今回も私のために開けておいてくれたのかと思い部屋の前まで行くと、話し声がする。先客がいるようだ。

私との約束があるしすぐに終わるだろうと思い、廊下で待つことにした。椅子などは無いので、立って待つしかない。

 

先客の彼女はドア全開で話しているので、話の内容が筒抜けだった。どうやら、卒論の相談に来ているようだった。しかも内容から察するに4年生なので、去年まで私がいた学年の人である。

顔見知りだったらどうしよう、と不安になったが、先生が呼んだのは私が一度も話したことのない学生の名前 (Y田さんとする) だったので安堵した。Y田さんに私の存在を認知されているかどうかまでは、把握していないが。

 

すぐに終わると思っていたY田さんの相談は、10分経っても20分経っても終わる気配がなかった。

普段ひきこもりである私にとって、数十分立ちっぱなしはかなり辛い。腰が痛い、生理の時みたいだ。おまけに便意まで催してきた。トイレに行こうかとも思ったが、その間にY田さんの相談が終わってしまい私がいなかったら先生に遅刻してきたと思われる。そうしたら怒られるかもしれない。などと意味不明なことを考え、便意と足腰の痛みに耐えながら待ち続けた。

冷静に考えれば、時間どおりに到着していましたがお手洗いに行っていましたと正直に話せばいいだけだし、まず先生が時間を守っていない時点で私が怒られるわけがないのだが、漏れそうな時は冷静になれないものである。

 

40分が経ち、11時40分になった。もしかしたら先生は私との約束を忘れているのかもしれない……と思い、帰ろうか迷っていたところでY田さんが研究室から出てきた。私のことを知っているかもしれないと思い、思わず俯いてしまった。その姿は、完全にコミュ障陰キャそのものだったと思う。

Y田さんが私の前を通り過ぎてから研究室に入ると、先生に謝られた。どうやら私の存在を忘れていたわけではなかったらしい。本当にごめんなさいね、まあ座って と言いながら椅子を出してくれたので、腰を掛けた。やっと座れた……という感覚が体に広がる。

 

「それで、退学したいってどうしたん?」と、先生。目の前の相手が専門としている心理学にさほど興味がないと言うのはかなり気が引けたが、前回の記事に書いたことを正直に話した。

そして私が「理由はこんな感じなんですけど、やっぱり親に言わないと退学できないんですかね?絶対に反対されると思うので、言いにくいんです。」と言うと先生は、親のことを詳しく聞かせてほしいと仰った。

言われたとおり、親の話をした。主に、父親がキレると数時間怒鳴り続けるという話をした。先生は発達障害とかそういう研究をされている方 (自分自身のことも、僕は発達障害なので~とか言う) なのだが、彼曰く私の父親は自閉症スペクトラム障害だそうだ。その障害のせいで人を平気で傷つける悪魔のように見えるが、本当は娘のことを大事に思っているらしい。

 

先生の主張は、障害だから何をされても許せということではなくて、障害があることを知っておくことによって今回の件も他のことも話しやすくなるのではないかということだった。それは確かにそのとおりだ。

そして、親子というのは切っても切れない関係だから、それを知っておくことで今後父親と上手に付き合っていけるのではないか とも仰っていた。これに関しては申し訳ないが、頷くことはできない。私は自分で稼いで食べていけるようにさえなれば、父と関わる必要など全くないのだ。

父は通話しかできないようなガラケーを使っているので、LINEは勿論できないしメールもなんとかたどたどしい短文を送れる程度である。年に数回、連絡事項がある時のみ電話がかかってくるが、父からの連絡といえばそれくらいである。おまけに電車の乗り方があまりよく分かっていないので、私が地元で就職しない限りは家にもちょっとやそっとでは来られない。

だから、関わる必要がなければ父とは死ぬまで関わりたくない。もし今後仲良くやっていけるとしても、私が生まれてから今までの間にされてきたことを考えるとやっぱり関わる気にはなれない。

 

先生との話は、1時間程度で終了した。先生からは、言いにくいとは思うけどとりあえず自分でお父さんに言ってみて、どうしても退学を認めてもらえないようであれば僕から説得してみるから と言ってもらえた。私はお礼を言って、研究室を後にした。

この時点では便意が消えていたのでゆっくり家に帰ったのだが、自宅に着いた瞬間激しい便意に襲われトイレに駆け込んだのだった。

 

 

 

それから3日経つが、父はおろか母にすら退学の話を出来ていない。というのも、退学した後のことが何も決まっていないからだ。就活が怖い、内定を貰えたとしても働くのが怖い、大学を辞めたあとの人生はどう転んでも恐怖しかないような気がする。先のことを考えると消えたくなる。そんな勇気は無いけれど。